2016.07.31 制作の小部屋
盛夏到来
盛夏到来
- 気がつけば今日で7月も終わりである。昨日は地元隅田川の花火大会があったのだが、自分はこの数年観ていない。この日は喧噪を避けて越中島の屋外プールで夕涼みをすると決めたからだ。意外にもこの花火大会は、街中で行われる(といっても川に設置したフロートから打ち上げられるのだが)珍しいものである。江戸時代、徳川吉宗の時に始められたというくらい歴史もある(その頃はもちろん、フロート形式ではないと思うが…)。近年はスカイツリーとの相乗効果も加わって、賑わいはむしろ増しているのではないだろうか。しかし、ビール片手に江戸通りのど真ん中ででーんと寝っころがってみる開放感はさぞ気持いいだろうし、建物の間から時折のぞく、色とりどりに夜空を染め上げる花火を観て(ビールの)つまみにするのも悪くはないと思う。だが、自分はある時悟ってしまったのだ。それでは済まない人間の性(さが)というものを!どうしてもそのうちもう少しよく見える場所はないかと、暗闇の街角を取り憑かれたように果てしなく移動が始まる。そして、狭い路地を見つけては少しでも観ようと、あの手この手でアクロバチックな姿勢を試み続けるのである。しかし、しばらくすると体の節々が異変を知らせてくるのに気がつくであろう。かくして、体中に痛みは残っても、苦労して観た割には花火の印象などさほど残ってはいないことに気づくのである。かといって、自宅に籠っていても見えない花火が放つ爆音に怯え続ける始末。これほどのストレスはない。そんなことならいっそこの時を、花火の間だけでもきれいさっぱり忘れてしまい、爽快な気分を味わうことに集中して過ごすべきではないか。こうして始めたのが、屋外プールでの夕涼みというわけである(一応アクアウォーキングなどで動きっぱなしですが、何か?有酸素運動というわけですな)。そしてそれは今年は7月30日(土)であった。無事隅田川花火大会も自からの「プール避難」も滞りなく終えることができたというわけである。めでたしめでたし。